ゲイのグリーフ、ゲイの家族のグリーフ


グリーフの勉強をしていると、「公認されないグリーフ」というのが出てきます。その故人との関係性や、死因、その他の要因で公的に悲しむことを許されない/出来ないケースがあり、その結果十分なサポートが受けられず、グリーフが複雑化(長期化、深刻化など)する傾向がある、という考え方です。

一般的には、愛人関係、ゲイ、自死、死産などがこういったケースに当たりますが、私は、友人にゲイが多いので、ゲイのグリーフに特に興味を持っています。興味、というのは適切な言い方ではないかもしれませんが、その悲しみの質に心を痛める者である、ということです。

今、ゲイの世界でも高齢化が進んでいます。日本でも70年代頃から、俗に言うカミングアウトをする人々が出てきました。同時にカップルとしてオープンに同棲に踏み切るものも増えてきました。こういった初期のカミングアウトカップルが60代、70代を迎えつつあり、お別れを迎えることが増えてきたのです。そして、カミングアウト、とは言っても、親兄弟にはカミングアウトをしていない人は非常に多いのです。

そんな、何年も一緒に暮らした「ご夫婦」のパートナーが亡くなる。そこには通常とは違うお別れの風景があります。死が迫ったとき、パートナーの家族に連絡を取り、駆けつけてくる親族。ほとんどの人はその時初めて「友人」としてパートナーの兄弟や親と顔を合わせるわけです。
そういった経験者の声は通常のお別れにまして、苦渋に満ちています。
例えばこんなケースがあります:

  • 親族がいるので、入院中に十分な看護がしてあげられなかった。
  • 生前から話していた終末期医療についての本人の希望をかなえてあげることが出来なかった。
  • 最後の瞬間には病室を締め出され立ち会えなかった。
  • 亡くなると、お兄さんが地元で葬儀をするから、と言って遺体をすぐ搬送してしまい、お別れも言えなかった。
  • 葬儀に参列できなかった。
  • 葬儀に参列はできたが、「家族」ではなく、一般の参列者としての扱いしか受けられなかった。
  • 墓所が遠いので墓参りができない。
  • 少し手元にお骨がほしかったが叶わなかった。
  • 一緒に住んでいたマンションがパートナー名義であったため、葬儀後に相手の親族に追い出されるような形になり、パートナーだけでなく住居も失った。(別種の喪失が重なった)

通常、配偶者として執り行える数々の決定・権利事項に全く権限がないだけではなく、配偶者にに差し伸べられる、社会的、経済的な援助の手、支援の言葉はゲイの遺族には殆ど与えられることはありません。ゲイの仲間からのサポートが望めることもありますが、多くの場合、残されたパートナーは孤立無援のうちに長期間を過ごさなければならない事が多いのです。

そしてまた、逆の立場から考えれば、自分の子供や兄弟がゲイであったことを知らない家族のメンバーは、生前、その人物に幸せな価値ある人生があり、愛する人があり、大切な友人がたくさんいた事を知る事がありません。亡くなった人物の人生の価値を振り返ることはグリーフワークの大切な要素ですので、自分の息子の、自分の姉のもう一つの人生を知らない事は、ゲイの家族のメンバーにとってもグリーフワーク上の大きなマイナス要因ということが出来るのです。

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