遺された想い:散骨と場所の記憶

ローズマンブリッジ

ローズマンブリッジ:思い出の場所

深夜の映画放送で、また「マディソン郡の橋」を見ました。何度も見た映画で、原作も読みました。これは有名な映画で、ご存知の方も多いと思います。

「マディソン郡の橋」では、散骨を通じて、お互い求めあいながら、今生では交じり合う事のなかった二人の人生が、死後、ローズマンブリッジのもとで一緒になるというストーリーです。
このお話しのポイントはやはり、散骨と「その場所への想い」だと思います。そういえば、「世界の中心で愛を叫ぶ」では想いを果たせず行けなかったオーストラリアの大地に亜紀の骨が散骨されました。大切な想いの強い場所、皆さんも一つくらいはお持ちではないでしょうか。

「マディソン郡の橋」あらすじ

フランチェスカ・ジョンソンは1965年、夫と子供が旅行をしている間に、マディソン郡にある珍しい「屋根付きの橋」の写真を撮りに来ていたカメラマンのロバート・キンケイドと出合い、互いに恋に落ち、一生に一度しかない4日間を過ごします。しかし、家族への責任を第一に考えたフランチェスカはそれ以後キンケイドとコンタクトをとることはありませんでした。1982年にロバートキンケイドは亡くなり、法律事務所からの手紙で、その遺灰が、二人の思い出の地、フランチェスカの自宅近くのローズマンブリッジに撒かれたことをフランチェスカは知ります。フランチェスカは自らが亡くなった時にも同じ場所に散骨をしてほしいとの希望を遺して1987年に亡くなります。

私も自分の死後のことを考えると、散骨してもらいたい場所がいくつかあります。
そのうち一つはタイのサメット島。1990年からタイに住み始めた頃以来20回以上は訪れている小さな島です。かつては掘立小屋のようなバンガローしかなかったこの国立公園の島も、今は結構なリゾート地になりました。ここには何度も一人で出かけ、そしてガールフレンドと出かけ、友人と出かけました。ガールフレンドは妻となり、私が2007年に日本に帰国すると決まった最後の休暇もこのサメット島でした。昨年には妻、子供を連れてゆっくり訪れた島でもあります。真っ白な砕けた珊瑚の砂、小さな島のだらしない夕暮れ時、シーフードバーベキュー。妻や子供との思い出。私にとって、とても大切な場所です。

サメット島のビーチ

サメット島のビーチ

妻に「死んだら、遺骨の一部をサメット島のビーチに」と言えば、それだけで、島のどこに行けばいいのか、妻は知っているはずです。私の死後、妻にはもう一度あの島に行ってもらいたいと思います。そして私がその場所と、その場所で一緒に過ごした時間を大切に思っている事を思い出してもらいたいのです。そしてもっと何度でも一緒に来たかった事を感じてもらいたい、と思うのです。

近年、散骨の件数が増えていると聞きます。永代供養も従来型の家墓を作らいない方法の一つではありますが、お墓という形態を全くとらない、となると、散骨が究極の選択になるのでしょう。しかし、客観的な散骨の良さ(費用や継承の問題など)を理解する程、私自身は「散骨がなかなか市民権を得て来ていない」と感じてしまうのです。
アルゴダンザのメモリアル・ダイヤモンドを製作される方の中には、散骨をされる方もたくさんいらっしゃいます。たとえば「母はフラダンスをするのが好きで好きで…。毎年2回はハワイにも行っていたので、ぜひハワイで散骨しようと思っているんです」という娘さんがいます。「場所への想い」が強い方ですよね。
そしてもうひとつのグループが「お墓を作らない」という目的達成のために散骨を考えている方々です。「海は世界中につながっていてどこでも供養が出来る」と故人が考えていた、という方もいますし、「お骨の場所は全く重要ではない」と心から感じている方もいますが、故人や遺族の「お墓は作らない」という強い思いが優先されているのだと思います。
でも、私は個人的には、散骨が広がっていくためには、「記憶の場所」で散骨が出来るようになる事が大切なのかな、と思っています。きれいな海ならどこでもいい、のではなく、「サメット島のビーチに」散骨をしてもらいたい、と感じているのですから。現在の法的な問題を別にすれば、私の遺骨の一部を散骨してもらいたい場所が日本国内の陸地にもあります。
故人や遺族の想いを叶える散骨、実現できるときは来るのでしょうか…。
そういえば先日伺ったご依頼者様は、遺骨の一部は夏になったら、自宅近くの海の洋上で花火に仕込んで打ち上げる予定だそうです…。これが出来るなら、「場所」ではなくて、「方法」でも満足できる散骨が出来るのかもしれません。

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