悲しみを癒すには哀歌を

歌師は遺族を導く導師

最近発見して気に入っているNHKの「旅のチカラ」。10月11日の放送は「泣き男のいる山へ :一青窈 中国・雲南省 」だった。
台湾人の父を小学校の時、日本人の母を高校生の時亡くした一青窈は、人の悲しみ、喪失感、切ない思いを涙を絞るように歌ってきた。その一青窈は映画を通じて中国、韓国などに残る「泣き女」に興味を持ち、中国を訪ねる。
「どのような心持で歌っているのか、それが解れば、歌う事は泣く事に似ている、という(自分の)感じがもっとクリアになると期待している。残された家族にとって悲しみを歌ってもらうというのはどういう事なのか…」

一青窈が雲南省の地で巡り合ったのが、代々白族(ぺー族)に伝わる「踏喪歌(とうそうか)」と呼ばれる悲しみの歌「歌師(グースー)」のリーダーを務めている李才根さん。歌師は「泣き女」のような職業的な歌い手ではなく、遺族に頼まれて葬儀で歌う村の「泣き男」たちである。遺族の話を聞き、即興的に故人の人生を振り返り、讃え、遺族を慰める歌を歌う。
その歌は時に数時間に及び、参列者は忙しい葬儀の中で、この時間だけは無心に故人を思い出すことを許されているかのようだ。参列者はその歌の間中、歌そのものだけでなく、自らの胸に浮かぶ想いと対峙する。ある者は悲しみ、ある者は良い思い出に浸る。

「人はひとりでこの世にやってくる  両親はやがて亡くなり
傷ついた心だけがこの世に残る  踏葬歌を夜中まで歌い続けよう
(中略)
当分の間 母は仙人になり  この世に二人の姉妹が残る
両目から涙が流れる  あなたは何を思っているのでしょう
(中略)
両親の情愛を忘れてはならない
あなたの母の魂を呼び戻しましょう
あなたの父の魂を呼び戻しましょう」

(踏喪歌は、本来葬儀の時だけに歌われる者だが、泣き歌を学びに来た一青に敬意を表する形で一青に捧げる歌が李さんによって歌われた。その一節)

しかし、番組を見続けるなかで、この歌師がただの「葬儀の泣き男」ではないのが明らかになってくる。李さんは書道を教える傍ら、日常的に村を回り、人々の生活の相談に乗る。だれが老いているのか、だれが病んでいるのか、だれがそれを面倒見、心配しているのか、すべて知っているに違いない。葬儀の時に即興の歌を歌うとは言っても、故人とその家族の事は既に知っているのだ。誰かが亡くなった時に、葬儀を準備し、執り行うのも歌師の仕事。葬儀では家族に代わって悲しみを歌いあげる。葬儀の後も、遺族の元に定期的に足を運ぶ。李さんが来たと言えば近隣の寡婦は彼を迎え、故人の事、家族を失った後の自分の生活を語り、聞いてもらう。在家の導師であり、グリーフカウンセラーと言えるだろう。

数年前、李さんは孫の一人、まだ少年だった俊峰君を交通事故で亡くすが、「子を失った親の悲しみは歌師にも引き受けることは出来ない」と言われ、李さんも葬儀で踏喪歌を歌う事を許されなかった。その葬儀に交通事故を起こした当の運転手が現れる。李さんは彼に「もし君の年齢が若ければ、孫の代りになってほしかった。だが君は父を失くしていて、母の面倒を見なければならない身だ。これからはもっと面倒を見てあげなさい。」と言ったという。歌師は、自分自身の涙に浸りきってはならず、さまざまな人の死を受け入れる日々の修練が必要だという。死を受け入れ、起こった事を赦すというのは難しい事であるだろう。

番組の後半、李さんは一青窈を38歳の時亡くした自身の最初の妻の墓にいざない、こう言う。「人生につらい事は3つある。それは“幼くして親を亡くす事”、“中年で妻を亡くす事”、そして“晩年に子を失くす事”だ。(私たちは同じようにこの最も辛い経験をしたのだから)あなたは一人ではないんだよ」。一青窈は大きく心を動かされたようだ。
しかし、私は、李さんはもしかしたら、話す相手によって「最も辛い3つの死別リスト」を言い換えているのかもしれない、とも感じた。「あなたは一人ではない」という重要なメッセージを伝えるために、新生児を亡くした人と話す時に「生まれたばかりの子を失くす事」がリストに加わっても全くおかしい事ではない。

涙に浸りきらない歌師が歌う踏喪歌。李さんの歌う哀歌は、その悲しさ故に人の心を打ち、荒ぶる心を和ませる。日本では「ゲンキを出せ」という歌が流行のようだが、本当に傷つき、戸惑うものには哀歌がその先を導いてくれるのではないだろうか。

最近発見して気に入っている「旅のチカラ」。1011日の放送は「泣き男のいる山へ~一青窈 中国・雲南省~」だった。

台湾人の父を小学校の時、日本人の母を高校生の時亡くした一青窈は、人の悲しみ、喪失感、切ない思いを涙を絞るように歌ってきた。その一青窈は中国、韓国などに残る「泣き女」に興味を持ち、中国を訪ねる。

「どのような心持で歌っているのか、それが解れば歌う事は泣く事に似ている、という(自分の)感じがもっとクリアになると期待している。残された家族にとって悲しみを歌うというのはどういう事なのか…」

雲南省の地で巡り合ったのが、代々白族(ぺー族)に伝わる踏喪歌の「歌師(グースー)」のリーダーを務めている李才根氏。歌師は「泣き女」のような職業的な歌い手ではなく、遺族に頼まれて葬儀で歌う男性「泣き男」たちである。遺族の話を聞き、即興的に故人の人生を振り返り、讃え、遺族を慰める歌を歌う。

その歌は時に数時間に及び、参列者は忙しい葬儀の中で、悲しみに浸ることを許されるかのようだ。参列者は歌そのものだけでなく、自らの旨に浮かぶ想いと対峙する。ある者は悲しみ、ある者は良い思い出を手繰る。

しかし番組を見続けるなかで、この歌師が

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