子供の喪失と悲しみを癒すガイド ~生きること・失うこと~


子どもの喪失と悲しみを癒すガイド

「子どもの喪失と悲しみを癒すガイド ― 生きること・失うこと」
リンダ・ゴールドマン著 天貝由美子訳
創元社

子供が、大切な人の死をどうとらえるのか、どのような反応を見せるのか、どのように死と向き合っていくのかは、大人のそれに比べても随分と複雑な問題です。
第一に、子供の死の認識はその発達段階により随分違います。幼稚園児なら死を何か「眠りのような物、一時的な物」としてとらえるかもしれませんし、小学生の低学年では「お化けのような恐ろしい物、でも自分には起らない」といった認識を持っているかもしれません。しかし、小学校も高学年になれば、その死の認識は私達のそれと大差はなくなってきます。
そして、その死と向き合う態度も、大人とは違います。小学生以上になると、喪失の悲しみは、非常にしばしば学校での問題行動、成績の低下、八つ当たり、強がりとして表現され、周りの大人たちは戸惑うことになります。
この本は、子供の喪失に焦点を当て、実際に周りの大人は、子供の喪失への悲しみをどのように理解し、どのように子供を支えればいいのかを解説した非常に実務的な入門書です。この本の第2章では、大人が陥りがちな「子供はこうであるはずだ」と言う思い込みを覆す「悲しみの神話」のリストが収められています。簡単にまとめますと、このようになると思います。

  • 大人が正直に自分の感情を表現する事で、子供は自分にもそれが許されている事を知る。
  • 死は大人にとっても簡単に答えることが出来ない大きな問題だという事を子供に認める事が大切。
  • 「活発に遊んでいて悲しんだ様子が無い」とか、「死を十分に理解できていないようだ」という事と、悲しんでいないというのは別の事だ。子供は、愛することが出来る年齢なら、悲しむ事が出来る。
  • 死を覆い隠さないで、正直にありのままを伝える。葬儀などの儀式に参加させ、死者を見たり、語りかけたりするのは、正しい死の認識を持ったり、必要以上の恐怖を与えないためにも重要。

死を認めて、オープンに話が出来る環境がある、と言うのは非常に重要な要素だと思います。
私が以前相談に乗った女性は、「出産数日で亡くなった『弟』の事を2歳の息子に説明する必要があるか、するとすればどう説明するか」と悩んでいました。当初その女性は「長男はまだ小さくてわからないと思うので、わかるようになるまで特に説明しない」という方向で検討していました。でも私は、それは結果的に家族の中で「語らない死」を作ってしまう事になる事、子供は死を理解出来る事、それよりも見えるところに赤ちゃんの形見を置いて、朝晩手を合わせるところを「お兄ちゃん」に見せる事の方が家族みんなの為に、その幼くして亡くなった子供の為にも、遺されたお兄ちゃんの為にも重要なのではないかと提案した事が有ります。

本書第3章では、「悲しみを乗り越える方法」が紹介されています。この中ではいろいろな方法が紹介されていますが、年齢を問わずに有効な方法として、絵を描く、詩を書く、粘土で遊ぶなどが紹介されています。本書で紹介されている様々な例は、子供の豊かな感性がどのように死をとらえているのか、そしてそういった遊び自体が如何に追悼の作業になっているのかが垣間見えるようです。
しばしば、葬儀の場では子供はわき役に追いやられてしまいます。それは「充分に悲しむ能力が無い」と考えられているからでしょう。しかし、本書を読むと、子供は充分に(場合によっては大人よりも何十倍も純粋に)人の死を悲しみ、感じているのがわかります。それがわかれば、彼らこそ、悲しみの場で十分にケアされるべきだと気が付くことが出来るのではないでしょうか。

最後に、この本の中で、私が特に興味を持ったのが、最近はアメリカの葬儀場には「子供の部屋」を併設するところが増えているという話題でした。そこで、子供は遊んだり、棺に入れる手紙を書いたりするのです。そういった活動の道具と共に、発達段階に応じた死や喪失に関する図書も用意されており、葬儀に退屈した子供たちが集ったり、親と子がぬいぐるみを使って死について話をしたりする場となっているとのこと。
私は未だ日本では見た事が有りません。新しいトレンドとなりますかどうか…。

※本書での「喪失」は死別だけでなく、親の離婚や災害での喪失などを含んでいます。

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