悲しみを癒すには哀歌を

歌師は遺族を導く導師

最近発見して気に入っているNHKの「旅のチカラ」。10月11日の放送は「泣き男のいる山へ :一青窈 中国・雲南省 」だった。
台湾人の父を小学校の時、日本人の母を高校生の時亡くした一青窈は、人の悲しみ、喪失感、切ない思いを涙を絞るように歌ってきた。その一青窈は映画を通じて中国、韓国などに残る「泣き女」に興味を持ち、中国を訪ねる。
「どのような心持で歌っているのか、それが解れば、歌う事は泣く事に似ている、という(自分の)感じがもっとクリアになると期待している。残された家族にとって悲しみを歌ってもらうというのはどういう事なのか…」 続きを読む

Mさんの死


数多いMさんのお気に入りの一つ。グランドハイアットエラワンのSpasso

今日はとても個人的な話を書こうと思う。

一昨年、私のとって友人であり、元上司であり、一種のメンター(良き指導者)だったMさんが亡くなった。その死を知ったのは昨年の事だったが、ひどいショックを受けた。

Mさんと初めて会ったのはもう20年前くらいになるだろうか。私がタイに住んでいたころ、大学の恩師に紹介されて知り合った。
とにかくおいしい物が好きで、旅行が好きで、話が合った。一時、上司、部下の関係であったこともあるが、私たちは食事の時になるとそんな関係を8割くらいは忘れて、楽しむことが出来た。当時、よく遅い時間にイタリアンやフレンチのフルコースをホテルでご馳走してくれた(当時の会社の人には申し訳ないが、経費だったに違いない)。私が「こんな時間にワイン飲みながら男二人でコース食べてたらゲイのカップルにしか見えませんよ」というと「フフフ」とか笑うような人だった。 続きを読む

家族との別れ:赤塚不二夫の死を考える


遺骨からダイヤモンドを製作するというような仕事をしているので、普通の人よりずいぶんと死を近く感じています。自分はどう死ぬのだろう、どのような形で家族と別れを告げるのだろう、と考えます。
こうであって欲しい、というささやかな「希望の死」の姿というものもあります。あと15年か20年後に、自分の死後の家族の生活をそう心配しないでよいような状態で病になり、できれば妻にお別れを言う時間をもらって死ぬ。まあ、それくらいの希望で、人様から「望みすぎだ」と言われるようなことはないでしょうが、考えてみるとこれは、殆どの人が漠然と「平均寿命位生きて、病院で死を迎える」と考えているのと同じことのようです。
しかし、実際私がお会いするダイヤモンドのご依頼者さんのお話を聞けば、この「ささやかな望み」もしばしば実現されない事がわかります。時に死は交通事故のような暴力的な形で訪れたり、健康で強靭な人があまりにも早く死を迎える事もあるのです。
仲の良い夫婦であればそうであるほど、この死による別離がずっと来なければいい、と感じるに違いありませんが、実際は愛するパートナーとの別離は人間の一生の中では避けられない事のようです。ほとんどの場合、必ずどちらかが遺される側になってしまうのです。 続きを読む

ニコール・キッドマン主演「ラビット・ホール」を見て:やがてポケットの中の小石に変わる

年末に、遅ればせながら静岡でも「ラビット・ホール」の上映がありました。グリーフ・カウンセリング・センターの鈴木剛子先生に紹介された事、ニコール・キッドマン製作・主演、しかも以前ご紹介した、これもまた素晴らしい喪失に関する映画、「ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ」を監督主演したジョン・キャメロン・ミッチェルが監督、と期待していました。

この映画では、先ず、子供を亡くした親が、如何にすれ違い、傷つけあい、こう着しながら、その夫婦関係が「ゆっくりと死んでいく」辛さが心を打ちました。息子ダニーの思い出を胸に焼き付け、その思い出を大切に、何とか前に進もうと努力する父・ハウイー。面影から抜け出せずにいながら、同時にその面影に苦しめられ、息子の痕跡を拭い去ろうとするような母・ベッカ。
ベッカはどこを見てもダニーの面影を見る辛さに、洋服を処分し、持ち物を物置に片付け、家を磨き上げ、「指紋まで消し去ろうと」しているように見えます。 続きを読む